すべての悪は、「悪法も法なり」から
日本の民主主義が、形骸化し、
「世界で1番 成功した社会主義国家」
と言われるのは、
「悪法も法なり」という考えの 連中が一定数いるからだ。
「悪法も法なり」 ウサキンの 1番嫌いな考えだ。
これは「人間より、社会より、法律を優先する」という意味だからだ。
人間は身体があり、集団、組織というものが、存在する。
法律は 人間が決めたことであり、実は幻影なのだ。
宗教と同じく、人間の頭、思想を司る回路にのみ、あるわけで(※注)、
条文として記録はあるが、形のあるものではない。
「悪法も法なり」の考えは、人権尊重に真っ向から対立するものである。
法律が絶対で、人間を従わせるのではなく、人間の世の中の進歩に合わなくなったら、
法律の方を 変えるべきなのだ。
「悪法も法なり」という思想の持ち主は、
変えるべき悪法を、変える勇気はなく、自分は甘んじる。
そして、自分が甘んじているのに、
「おかしい」、「悪法は変えねば」という人々に、嫉妬して、攻撃するのだ。
彼らは、自分の言いたいこと、考えを、はっきり言えなくて、我慢しているから、
「おかしい、違う」と素直に主張できる人々が、羨ましいのである。
心理学でいう、「合理化」 だ。
例の、キツネが葡萄を取れなくて、「あの葡萄は酸っぱい」と言う イソップ寓話にでてくる話で
本当は、甘くて美味い葡萄を食べたいのに食べられない。食べているキツネが、羨ましいのである。
この「悪法も法なり」を、日本全体で、長年の歴史から、考えてみよう。
運動部で、先輩が後輩をいびる。
そして、順番に 後輩は 次に先輩になった時に、次の後輩をいびる。
悪の いじめ、リンチの連鎖だ。
これも、 「悪法も法なり」の精神から来るのだ。
自分は甘んじて、先輩のいじめに耐えた。だから、次は後輩をいじめて、我慢のうさを晴らすのだ。
これは、「上下関係を強める」し、何より、「鍛えるんだ」「愛のムチだ」と言いはるのにも、都合がいい。
悪習は こうして 引継がれるのだ。
日本人の是とする 先輩後輩、上下関係が、
まさか この「悪法も法なり」の考え方を
さらに強化している、と気づいている国民は ほぼ皆無だ。
また、いかに悪法といえども、誰か先人が作った法律だ。
江戸時代、徳川綱吉公の「生類憐みの令」なんてのもあったが、さすがにこれは、
犬のために 人間が処刑される姿に、誰もがおかしいと思ったから、なくなった。
しかし、今世紀に至っても、議員や政府、公務員には、
「法律改正は、先輩が作ったもの(法律)に、ケチをつける行為だ」
という発想の人々が多い。
これが、今も、「悪法も法なり」を 簡単に変えられない原因なのである。
いったん作ってしまえば、法律を直すことはない・・・・
日本国民は、このあたりの意識、思考力に欠けている。
もっとも、だからこそ、支配者にとっては 都合のいい民族なのだが。
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最終更新日:2017/08/12