幻の東京オリンピック ~ 1940年開催が没に
2018年1月2日 たまたま パナマ文書のサイトを見ていたら、
グラっと 揺れを感じた。
まさか、ピンポイントで 俺が狙われたわけは、ないだろうな・・
と思って、地震速報を見たら、確かに、川向こうあたりが、震源地だった。
と 地震を調べていたら、不思議な符合?のサイトを発見した。
鬼平は、現在の日本の状況から
2020年、東京オリンピックは なんらかの理由で開催できず、
ロンドンに変更になってしまう
と 予測しているのだが、どうやら この勘は、当たりそうだ。
以下、見つけたサイトからの抜粋である。
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2020年 東京五輪と 1940年の 幻の東京五輪が似ている?
歴史マニアの間で噂
(2015年9月6日)
ざっくり言うと
2020年の東京五輪について 歴史マニアの間で ある噂がささやかれているという
幻に終わった「1940年の東京五輪」と同じ運命をたどるかもしれない との噂
2020年の 五輪も近いうちに 日中戦争が起きて、開催を返上するのでは とも
東京五輪がなくなる?
1940年の幻の東京五輪と2020東京五輪が恐ろしいほど似ている!
2015年9月6日 13時8分 LITERA(リテラ)
新国立競技場の建設計画見直しに エンブレムの白紙撤回と、
世界中に恥をさらすような不手際が 立て続けに起きている東京五輪。
こんな調子で 2020年に ほんとうに国際的な祭典を開催することができるのだろうか。
実は、一部の歴史マニアの間では少し前から、こんな見方がまことしやかにささやかれていた。
「東京五輪は あの幻のオリンピックと同じ運命をたどるかもしれない」
過去の東京五輪といえば、すぐに頭に浮かぶのが 1964年に開催された第18回大会だが、
今から75年前の 1940年にも、東京でオリンピックを開催する計画があった。
このオリンピック計画はもともと、発明家でもあった 日本学生競技連盟会長の山本忠興の発案に、当時の東京市長・永田秀次郎が賛同して始まった。1932年に立候補を表明して ローマ、ヘルシンキと争う形になったが、日本はこれを 皇紀2600年記念事業としても位置づけ、国をあげて熱心な招致活動を展開。1936年のIOC総会で 柔道の嘉納治五郎が招致演説を行い、アジア初となる東京開催が決定した。
ところが、その翌年、盧溝橋事件が勃発し、日中戦争に発展する。
戦況は日を追うごとに拡大・悪化し、国内、国外で開催反対の意見が続出。
38年7月の閣議で 開催権の返上を正式に決定したのである。
この幻に終わった 1940年の東京五輪と、今の2020年 東京五輪を取り巻く状況が、そっくりだというのだ。
たしかに『幻の東京オリンピック 1940年大会招致から返上まで』(橋本一夫/講談社学術文庫)などの書物を読むと、両者の間に符合する部分がいくつもあることに驚かされる。
まず、似ているのが震災との関係だ。
2020年の東京オリンピックは 2011年の東日本大震災からの復興をテーマの一つに掲げているが、1940年の東京五輪も その17年前に関東大震災が起きていて、そこからの復興をアピールする意図があった。
また、招致への国際的協力をとりつける経緯も似ている。
40年の東京オリンピック招致には独裁者・ヒトラーと ムッソリーニの協力があった。
36年の ベルリンオリンピックでは ヒトラーの人種差別政策に反対して ボイコットの動きがあったが、日本は参加を表明。
もともと 日本との軍事的連携を狙っていたヒトラーは これに応えるように、東京オリンピック招致に全面協力。
ベルギー出身の IOC会長 バイエ=ラトゥールに日本を支持するように圧力をかけた。
この関係が 後の日独防共協定、日独伊三国同盟につながっていく。
ムッソリーニも同様で、エチオピア侵攻によって 国際連盟を脱退したことから、同じく国際連盟を脱退した日本に接近。
東京と招致を争っていたローマを立候補から辞退させた。
一方、2020年の東京オリンピック招致は プーチン大統領の積極的支持が勝因の一つと言われている。ロシアでは14年 ソチ五輪が開かれたが、プーチンはこの少し前、同性愛差別発言をして 欧米各国からボイコットの動きが起きていた。
しかし、日本はこうした動きとは距離を置き、13年9月、ロシアのサンクトペテルブルクで開かれたG20サミットで、安倍首相がプーチン大統領に協力を要請。プーチンから「投票権を持つ ロシアのIOC委員、友人のIOC委員に 東京を支持するよう説得した」という答えを得たとされる。
ようするに、1940年も 2020年も 日本は国際社会で批判を受ける独裁者に協力を仰いで、開催支持をとりつけているのだ。
さらに、この2つオリンピックは メインスタジアムで問題が起きたことまで共通している。
2020年 東京五輪の国立競技場問題は 今さら説明するまでもないが、1940年の幻の東京五輪でも、当初は隅田川河口の月島埋立地を利用する計画だったが、風が強すぎるという問題で変更しなければいけなくなった。
続いて候補に挙がった明治神宮外苑は、神社局長から 大規模開発を反対され、挫折。その後も、二転三転。
最終的には 駒沢ゴルフ場跡地になったが、招致決定から半年たっても競技場が未定のまま、第7候補地までもつれこむ事態は IOC会長からも批判された。
しかし、1940年の五輪と2020年の五輪の類似性は なんといっても、招致決定前後のキナ臭い政治状況だろう。
1940年の東京五輪では、関東大震災の2年後の 25年に 治安維持法が制定され、日本は急速に軍国主義化。その10年後に前述したように 日中戦争に突入していく。
そして、2020年に東京五輪を控える今の日本も 同じ道をたどっているように見えるのだ。
東日本大震災の2年後に “現代の治安維持法” と呼ばれる 特定秘密保護法が成立。
さらに 安倍政権は集団的自衛権を容認し、今、安保法制を強行しており、戦争のできる国づくりが 着々と進められている。
つまり、2020年の五輪も 近いうちに日中戦争が起きて、開催を返上。1940年の東京五輪と同じように、幻に終わるのではないか、というのだ。
これはあながち、妄想ともいいきれない。
安倍首相は非公式の場では、「安保法制は中国が相手」「南シナ海で日本人が命をかける」と明言しているし、東シナ海のガス田開発、中国の領海侵犯など しきりに中国の脅威をアピールしている。
また、南シナ海では、今年6月、海上自衛隊がフィリピン海軍と合同軍事演習を行っているが、官邸は1年以内に、自衛隊が米軍やフィリピン軍とともに、中国が進める南シナ海での岩礁埋め立て工事現場付近に出動し、この工事を武力で止めるシナリオをもっているといわれているのだ。
そう考えると、2020年の東京五輪と1940年の東京五輪の奇妙な符合を、オカルティックな「歴史の反復」としてとらえるのは少しちがうのかもしれない。むしろこの2つの五輪は、もともと構造的なところで共通している部分がある。
前掲の『幻の東京オリンピック』は 1940年の東京五輪について、こう書いている。
「一九四〇年 東京オリンピックの問題点のひとつは、紀元二千六百年記念として開催したいとの意欲が先行したため、肝心の競技施設を 事前にまったく整備しないままに立候補し、しゃにむに招致運動を進めたことである。」
「日本の軍国主義化が急進するにつれ、オリンピックに内包される国際的、平和的な理念と「皇紀二千六百年」の持つ国家主義的性格との矛盾が激化し、軍部だけでなく政府内部でも、東京オリンピックの意義を認める空気が急速に希薄になっていったのである。」
2020年の東京五輪もまた、石原慎太郎と安倍晋三という 2人の国家主義者によって 国家的威信の復活のために 強引に進められたものだ。だとしたら、同じように矛盾が次々と噴出し、戦争リスクが高まるのは当然といえるだろう。
いったい、この先、2020年の東京オリンピックはどうなるのだろうか。
いや、オリンピックはどうなってもいいが、少なくとも1940年と同じような戦争という悲劇だけは避けなければならない。
(森 悲朗)