貧困ビジネスの最たるものは・・・・
2017/12/02
日本だけでなく、
人類ほぼ全体で 不都合な事実がある。
ごく一部の 世の中を動かせる人々、特権階級を除いて、人類のほぼ全員が
身体は労働に支配され、心は宗教に支配され、脳はプロパガンダに洗脳されている!
残念ながら、そのことに気づいている人も、人類全体からすれば、残念ながら、ほんの少数派だ。
私も 大々的にこの思考を広める気など、さらさらない。
世の中の支配者にとって 不都合な連中は、消すべき存在だ。
これからも 静かに 密かに潜行する思想であろう。
今の日本(アメリカも、かも?)は 北朝鮮を笑えるか?
北朝鮮は、粛清という形で 身体を殺すが、
宗教や特定の思想に洗脳することは、心を殺すことだ。
宗教は、極論、貧困ビジネスだ!
世界を見渡してみよう。
宗教に熱心な国、地域ほど、貧困である、という現実に 気付かないだろうか?
これは、洗脳されていたり、特定の思想の下にいる人々が、
支配層、権力層に 宗教の名のもとに支配されている、という現実も、示している。
よく
「信じる者は救われる」
といわれるが、
こんな マヤカシ、大嘘はない!
「信じる者は むしられる」
が正解なのだ!
宗教こそ、時間とお金、労力という、人生の3大資産を奪う、巨大勢力だ。
現代日本で、政治に関して調査すると 皮肉にも
支持する政党無し
が政治の最大勢力だそうだ。
政治以上に、宗教に関しては
信仰する宗教なし、
が 経済合理的かつ最善策だ。
東京都北区赤羽の近く、東十条六丁目の風景を見ていただきたい。
世界に名だたるコカコーラと、創価学会が 並んでいるのであるが・・・・・
創価学会が立派な建物なのに対して、世界のコカコーラ、建物の貧弱さが、目立つ。
(写真の左に、小さく Coca Cola の看板が、写っているでしょう。じっさいに、地味です)
あなたはこれを見てどう思うだろうか?
どちらも 巨大勢力なのに、なぜ こんなに大差があるのか??
この鍵こそ、日本の仕組み、制度の象徴である。
宗教法人は非課税、
対して民間企業は 累進課税である。
課税か? 免税か?
税金のパワーの凄さを まさに目の前に見せ付けられている風景ではないだろうか?
世界に冠たる、アメリカ企業、コカコーラですら、アメリカの属国・日本では、宗教法人のお布施より、
税引後では 利が薄い、ということがわかる。
あなたがもし、金持ちでないのに、宗教に傾いているなら、よく考え直すことだ。
裏を返せば 貧乏人こそ、宗教なんかに目もくれず、働くなり、投資に挑戦するなり、
現実のお金を得る活動に時間とエネルギーを注ぐべきだ、
ということがいえる。
収入が上がらない労働を、徒労という。
世の中 ここでも大多数の馬鹿と 少数の賢いものに分かれるのである。
賢い奴は宗教を布教し、信者とお布施を集める方に回る。
馬鹿な奴ほど 宗教にすがりつき、
お布施とか折伏とか、何かと金をむしり取られている。
宗教は、なかなか厄介なシロモノだ。
金だけではなく、やれ集会だ、何とか会だ、やれ参拝だ、などと、時間と労力も盗られる。
当人たちは、それでも 本人が納得しているなら、別にかまわないが、
あなたは お布施を弾むほど、大金持ちなのか?
そもそも、神仏のご加護があるのであれば、なぜ あなたは 貧困に喘いでいるのか?
貧困を、試練だ、というのは 教祖様や 取り巻きにとって 都合のいい話であって、
宗教にはまった人間の末路は、試練のまま あの世いきになってしまうことが多いのである。
(「知らぬが仏」という言葉があるが、それはそれで 本人は幸せな人生だったのかもしれない)
これは、日本人だけに限らないだろう。
これほど 金にうるさい人間ばかりの世界で、目の前で金が盗まれれば 事件になるであろうに、
時間と労力を提供させられることには、なんと無頓着な人間が多いことだろう。
私は 宗教嫌いだが、神仏を信じないわけではない。
神仏は心の中と、見えない現実世界に存在すると思うが、あくまでも 現実を生き抜くのは、自分自身だ。
宗教に頼るべきことではない!
ドイツ人なら、ニーチェを、
日本人は、宮本武蔵を見習うといい。
「神仏を尊んで神仏を頼まず」
私は、この世の中の仕組み、構造、本質を理解した上で、宗教を冷静に観察している。
逆にいえば、こういう理解がなければ、
「貧困ビジネス」に飲み込まれる。
宗教は、極論、貧困ビジネスだ。
権力者、金持ちなど、特権階級の人々が そうでない人々に、 教え、洗脳する、
そして あなたが貧しい、不幸なのは
信心が足りない
不徳だから
というのだ。
それが宗教というものだ。
さらには、日本では 学校法人と 宗教法人が 非課税扱い、という税制だ。
それに対して、一般庶民、とくに サラリーマン、OL諸氏は、給料天引きで、納税されている。
そして、人生のあらゆるシーンで 税金という形でむしりとられる。
宗教にはまることは、税金をむしりとられる人が 優遇税制の人に、金を貢ぐ行為そのもの、である。
無宗教、それは、貧困ビジネスの罠にはまらない、自立した人生を生きている人たちなのだ。
特定の宗教を支持しないことは、神仏を尊ばないこととは違う。
私が 金持ちなら、宗教法人自体を買い取り、さらには証券会社も買う。
そして、教祖を操り、証券会社で「寺ファンド」を組成する。
これで、 後継者に困る寺を買収し、宗教法人で さらに「人生の本質的ハッピー」にみなさまを洗脳する。
そもそも、人類史上、宗教が絡まない戦争は、なかった。
むしろ、 宗教こそが、戦争の根本原因だ。
我々の信じる神仏と 違う連中が、殺しに来る。
殺される前に、攻撃だ!
戦争の本質は、ここにある。
ユネスコ憲章前文に
「戦争は人の心から生まれる」
とある。
宗教は、人の心を操り続けている。
人の心 こそ、宗教の本質であることに、いい加減、気付くべきだ。
逆に、無宗教が多数の日本人には、これからがチャンスだ。
日本人がずっと守ってきた、国づくり、国家体制は、無宗教だからこそ、あらゆる人類の救いになるのだ。
特定の宗教に拘泥せず、自由意志・・・・
敗戦後の復興の 大きな力は、宗教ではなく、日本人の心、教育からもたらされたものなのである。